伝統芸能
分野別カテゴリー: まちづくり 教育
レポート:小山田町太鼓踊り保存会~支え合う、繋がる、を伝える~
400年以上の歴史があるとされている小山田太鼓踊りは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、島津義弘が武士たちの士気を高めるために始めたと言われる郷土芸能。その後も、小山田町では、雨乞いや農作物の虫除けを祈って行われていたそうです。
そして今回は戦後絶えていた小山田太鼓踊りを昭和43年に復活させ、保存と継承に取り組んで半世紀以上!
小山田町太鼓踊り保存会の皆さんの活動を取材して参りました。
三社奉納
皆さんの活動を初めて拝見したのは2023年の7月、松原神社での六月灯。
荘厳な太鼓と鉦の音色と力強い踊りに釘付けでした。
それは令和5年から始まった三社奉納の一つでした。
三社とは
諏訪神社(鹿児島市小山田町)
松原神社(旧南林寺/鹿児島市松原町)
南方神社(旧諏訪神社/鹿児島市清水町)
のこと。
古の時代、この三社に奉納していたことが、文化9年(1812)、文政4年(1821)、天保7年(1836)の史料に記されています。
これまで地元の諏訪神社には毎年奉納がされていましたが、念願かなって他2社へも奉納が可能となり令和5年から三社奉納が実現しました。
その後さらに活動が活発になり、最近はメンバーも5名増え良い循環が生まれています。
この秋、私たちがまず取材に訪れたのは諏訪神社(鹿児島市小山田町)
この日は秋の例祭のご奉納。例祭当日の10月15日(火)は平日で保存会の皆様の参加が叶わず、2024年10月13日(日)のご奉納となりました。
この時期はまさに田んぼの収穫期。収穫作業に早々に戻る方もいらっしゃるため、早朝8時からの儀でした。
・まずはお祓い ・早朝から観に集まる方々も ・盛り上がる踊り
子どもたちへの伝承
小山田小学校では小山田町の伝統文化を伝承していくために、5・6年生全員が踊ることができるよう、前年度の3学期に6年生が5年生や4年生に踊りを伝えるなど、子ども間で伝承しまさに郷中教育。踊りの由来についても学習。子どもたちが、小山田の文化に誇りをもつことができるようにしています。
また、踊る前の衣装の着付け及び太鼓の装具の付け方などを、保存会の方々から指導を受けながら、保護者及び職員も一緒に行い発表の場も設け、あらゆる世代が伝承文化にかかわる機会を設けています。
2024年10月19日(土)に行われた 令和6年度 第4回さつまっ子育成市民大会では小山田小学校の15名がオープニングを飾り、会場の皆様からの喝采をあびました。
・ステージ前にみんなでピース ・二人がかりで装備。宮原会長は力強くて緩まないそう ・緊張の瞬間
・華麗な装飾も醍醐味 ・力いっぱい踊る ・こどもたちに“夢と思い出”のメッセージ
動画はこちらどうぞ
6年生はこの日が最後の踊りになるかもしれないと感慨深く話す子も。
”卒業してもずっと続けたいけど部活が始まるから…”
との声も聞かれ、続けて行くことへの一つの課題が垣間見えました。
”支え合う、繋がる、を伝える”
2024.10.26(土)はかごしままちなか文化彩で行われた第53回鹿児島市ふるさと芸能祭へ。
小山田町太鼓踊り保存会の皆さんは出演5団体の中で最後の演技を飾りました。
太鼓と鉦に分かれて踊る太鼓踊り。
どちらも大変な重量があり、鉦は3㎏、太鼓も大変な重さでお飾り等を入れたら20kg程になるのではないかとのこと。
それぞれ1番道,2番道,3番道・・・と呼ばれる踊りの型を(道のほかに庭もあるそうです)いくつか組み合わせ、隊形を変えながら踊る。
太鼓の人は,白い衣装を着て飛び跳ねながら太鼓を打ち、鉦の人は,黒い衣装を着て重い鉦を片手で掲げ,リズムよく鉦の音を響かせる。
まさに町の安全と繁栄への祈りが感じられる誇り高い舞でした。
旗を手に舞や会場を見守る保存会サポートの皆さまも”支え合う、繋がる、を伝える”の伝道者たち。
小山田の町が太鼓踊りの文化を継承することで街の誇りが維持され、誇りは土地への愛になる事、 ”支え合う、繋がる” は小山田の地でさらに深まる事を予感させる2024年秋となりました。